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第5話 「Brillante」 Kiyoka Endoさん


今回のインタビューは、Kiyoka Endoさんです。

那須にアトリエを構え、染め物をはじめて30年。思い返せば幼い頃、にじみ絵あそびでテ

ィッシュを染める、ちいさな染色家だったそうです。

「人見知りで、コミュニケーションの苦手な自分が、こんなにも世界を飛び回るとは思っ

てもなかった」とおっしゃるKiyokaさん。これまでのお話を伺いました。





―生まれた場所と生い立ちを教えてください。

生まれは神奈川茅ケ崎市です。東京の美術大学と専門学校で、

染織を専攻していました。

大学の作品展やコンクールで「舞台美術で使いたい」と声をかけてもらったり、海外から

オファーがきたりして、仕事になっていきました。

ただ、アメリカで仕事をしていた時に言葉の壁を感じました。

通訳を付けて頂いたのですが、美術専門の方ではなかったので

なかなか通じなかったんです。

そこで、カナダへ留学し英語を学び、同時期にイタリアで作品の販売が始まりました。





―イタリアではどんな仕事を?

アートセレクトショップでの委託販売です。

日本で作ってイタリアへ持っていくスタイルでした。そのうち、依頼が増えてきたので

、5年程はスイスに拠点を移して、仕事をしました。


―海外で仕事をして気づいたことはありますか?

カナダでは、壁に掛けられる作品を作って欲しいと言われたり、ローマではモデルさんに

着せる衣装をオーダーされたりと、その国の文化で必要とされるカタチが違うことに気づ

きました。

海外では、日本の価値観だけでは通用しないし、周りにこういった仕事の仕方をしている

人が少なかったので、

海外に実際行ってみて、現地で色々学んだという感じです。

今思えば大変でしたが自由にやってましたね!

まさに今、風の時代*になったから、やっと私に時代が追い付いてきたかも?!なんて、笑

※情報、知、心など、目に見えないものを表し、個性を表現することに価値が置かれる時代

という意


―世界を見てきて、どこが一番しっくりきましたか?

すばり!日本です。出れば出ただけ、愛国心もわきましたし、元々私はお家で制作して引

きこもるのが好きなので。

小さなころから人見知りで、人前に出るのは緊張するし、コミュニケーションも苦手なと

ころがあるんです。だから、日本に帰ってきて日本語はやはり楽だし美しいと感じます。

そう。日本に帰ってきて、はじめて日めくりカレンダーを買ったんです。

海外にいた時は、いつどこにいるかわからない生活が普通だったから、カレンダーを1枚

めくる度に「私今日も家にいられるんだ幸せ~♪」と感じました。

日めくりカレンダーって、毎日生き直している感覚がありますよね。





―那須にアトリエをオープンしたきっかけを教えてください。

両親が那須に移住する際の引越しの手伝いで、森を見た瞬間気に入ってしまいました。そ

の時は秋の終わりで、木の枝にうっすら雪が積もっていて、それがすっごく可愛くて!予

定外でしたが「私もここに拠点を移したい」と思ったのがきっかけで2008年4月、アトリ

エ兼ショップBrillanteをオープンしました。

オープンの日は、急に始めた小さなお店に地元の人が遊びにきてくださって、それがとて

も嬉しかったです。一点ものを作るのが私のこだわりなのですが、そんなスタイルを好む

方が来てくださり、次に来るときはお友達も連れてきてくれました。


―震災の時もお店は開けていたのですか?

ショップをオープンして、3年経った頃に東日本大震災でしたね。

震災が起こった翌日も片付けながらお店を開けていたのですが、あの時は、開けることで

自分を保っていたのかもしれません。

ある日、友愛の森に避難していた方が私のショップにいらしたんです。ストールを選んで

下さったのですが、「着の身着のままで来ちゃって」とおっしゃっていたので、そのまま

差し上げたほうが良いのか迷いながらも割引をして販売したんです。そうしたら、「売っ

てくれてありがとう」と言われて驚きました。

どうやらその方は、もらうばっかりの日々が辛かったみたいなんですね。

そして帰り際、お客様がストールを巻いた瞬間、パッと表情が明るくなったんです。

その瞬間、アートの癒す力をすごく感じて。無力感を感じていましたが

それからは、私にも何かできるかもしれないと思うようになりました。

ただ、震災の時は、グレー系の作品が増えてしまって、明るい色が出せなくなってしまい

ました。どうしても出せなかったんですよね。あの時は。





―那須染めはいつから?

東日本大震災の那須町復興支援PRに協力したのがきっかけです。

私も何か復興へのお手伝いと祈りを伝えたいと思いました。

そこで、那須の様々な業種の人と出会い、レストランの方から野菜くずをもらったり、時

には家畜(草食動物)のフンで染め物をしたり。

あらゆる不要物からアップサイクルで染める実験が始まって、ようやく4年目くらいに商

品化でき、そこで那須染めの作品販売がスタートしました。






―大日向マルシェとの出会いを教えてください。

初回のアースディ那須の実行委員に「からこや」のくみちゃんが誘ってくれて、非電化工

房さんと出会い、大日向マルシェがスタートする事も知りました。私は元々、マルシェの

お客さんでしたが、10年位前にマルシェの旗を作りたいから泥染めワークショップをして

ほしいというオーダーがあって、関わらせてもらううちに、次第に出店することになって

いきました。





―インタビュー慣れしていますね♪

数年前からインタビューを受けることが増えたので、慣れたのかもしれません。

最近は私の活動や生き方に興味をもってくれる人もいて、好きな事を仕事にしている大人

として、学校で授業をしたりワークショップで話すうちに、

少しずつですが言葉で表現することに慣れてきたと思います。

もちろん、言葉で表現できないことは作品の中で。

第六感で感じられる表現を追求しています。


―言葉の大切さに気づいたきっかけは?

2021年頃大学生に授業をしていた時、コミュニケーションが苦手な学生が多い気がし

て、あれ?!とびっくりしたことがありました。

コロナ禍の生活や、SNSの影響もあって、

今までは、そこに行かなければ見られなかったものが何でも見れちゃう時代。さらに今は

、“AIがそれできます“の社会になってきました。

便利さもありますが、そういった社会が、五感で感じとる経験や実体験、コミュニケーシ

ョンの機会を少し奪ってしまったのかも?とも思っています。

私も引きこもりで人見知りなので気持ちはわかりますが、残念でもあり。

大日向マルシェは、お話する場も多く、四季を通して五感が豊かになる時間なので、若い

方にもぜひ遊びに来て欲しいですね!


―以前、だっぱラジオで「漫画道場」というコーナーを担当されていましたが(現在はお

やすみ中)、これまで読んできた中で、お気に入りの一冊があれば教えてください。

漫画道場では、毎回違う作家さんの作品を紹介することにこだわっていました。

・・・というのも、私の漫画の読み方は少し変わっていて、新しい漫画家さんに出会うと

、その方が影響を受けた作品までさかのぼって読みたくなるんです。

どちらかというと、評論家や分析家のような視点で読んでいるかもしれません。それくら

い漫画が好きなんです(笑)。

そのときの気分やバイオリズムで読む本を決めているので、「この一冊」と答えるのは正

直難しいですね。


漫画は今も探求の途中で、今この瞬間にも、新しい漫画が次々に生まれているでしょ?!

まだ見ぬベストワンがどこかにあるかもしれない――

そう思うことが、私にとっては幸せなんです。




聞き手:梨本あぶらや 鈴木朝子

文:アトリエどんぐり 日向野真知子 

写真:ATELIER SO_MARU 金井翔平

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